- 2012.01.16
時間を奪還せよ!
時間を奪還せよ!
みなさんこんにちは!
今日は柄にもなく歌を拵えてみました♫
酷ぇ歌ですが、勝手な曲を付けて自分なりに歌ってみてください☆
今回の歌は字余りな語り調ですのでソレっぽくお願い致します。
あの音楽の著作権で有名なカスラックになんて気兼ねしないで唄ってね!
タイトル【時間を奪還せよ!】作詞:ミカミマサシ
まるっと時間が奪われたのは思考が停止していた
あの20代から30代前半か、いや…
もしかしたら実際はもっと前からだったのかも知れません。
あれは思考が停止していたのではなく
単に精神がデフォルト状態であったのかも知れないと
今となれば思い当たる節もあり、しかしその節すらも
ひょっとしたら虚偽の記憶にあたるのか
合成の誤謬が導いた結果(カタチ)であったのかは
無責任なことに僕は知りません。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
あれは希望的観測からだろうか、常に新しいものに流され、
ガキの頃はその道を正道と信じて選択し、
解釈に振り向くことなんてありゃしなかったので
ルールに抵触する選択すら気が付けなかった有様でした。
傀儡の先見とその体制を維持する「いわゆる良い子」が
立派な姿勢だと無理矢理 聞かされ続けて育ったもんですから
六垢(ろっく)もまた合法で資本制の世では日常茶飯事なのでありやす。
煩悩から生じる六垢とは
「恨み、誑(たぶら)かし、憍り、悩み、害(そこな)い、諂(へつら)い、」
だと言われております。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
要するに銭が力だと言わせたい心が腐ったエスタブリッシュメントが
日夜創造してきた世界の通貨というものはあくまでも代理物という
オナニー的存在であり、本当の価値というにはこりゃまたお粗末な
ケツも拭けねぇ霞(かすみ)のような代物なんでありやす。
それを知ってか知らずか世間のおっさんたちは朝から満員電車に揺られ
経済知識に遅れをとるなと靴下が蒸れていることも忘れて会社に出向き
自分のアソコが白毛に変るまで働かされているのであります。
世故世故と御用聞きを繰り返しては胃を患い、やがて口臭が気になりだすと
もぅいい加減自分は誰で 何のために生きているのかわからないと
小さめな独り言で夕暮れをバックに愚痴をこぼすのです。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
やれ子供も生まれた、やれマイホームを建てたと喜びもつかの間
非行に走る子供に 注意すら出来ないままに禿げ上がり
残っているのはローンだけかと毎晩のように夫婦喧嘩するもんだから
肝心なときにアレを拒否られてしまい、その腹癒せに放った強言も
ただ単にオヤジを味噌っかすにハメる一因と化してしまうのだろう。
隔離され始めたお父さんのあの独特な臭いは
いまでは枕とトイレとテレビの前だけになってしまっている。
頭の悪いのはみんなお前が原因だ!と女房を怒鳴りつけるような
昭和スタイルをテレビで何度も見てきた昭和生まれの僕の場合は
今ではすっかりテレビも見なくなり携帯電話やタブレット端末の
電磁波に脅えながらも偏向報道に文句を付けては
何のために書いているのかわからなくなる
バカげたブログつー世界で毎回生き恥を曝している。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
学歴信仰を崇拝したご立派な盆の暗い洗脳患者の輩が
懸命に作り上げる世を大衆が求め 是と捉えているもんだから
十人十色と頭では理解していても
子供の思考にまでしゃしゃり出て来ては人生のレールを一方的に敷きたがる
どっかのガキ共のどっかの処置なしの母親たちが
狭い価値観の中で自分は到底入れやしねぇ就職先や大学を目指させるのは
その母親たちが無知だからであって、そのDNAを受け継いでしまった子供たちに
無理難題を押し付けそれを正道だ愛だと錯覚するのは正気の沙汰じゃねぇ。
この反吐が出るほどの矛盾感知を忍耐に変換して生きるしかなかったあの頃
あれは夢だったのでしょうか幻だったのでしょうか、いやいやあれは現実でしょう。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
この歳になってなんとなくわかったことなんですが
本当の価値とは「生きること」であり「愛を育む」ということじゃねぇかと
やっと人間らしい考えができるようになってきた此の頃です。
たったこれっぽちでも欠陥者が理解できるようになるまでには
なんだかんだで結構長い道程でしたよぉ。
幾つものジレンマを重ねる度に焦ってはダメだと自慰行為で杭を打つ。
人生の進み方と気付きがあまりにも遅いこの僕の覚醒に
いつの間にか心が経験と実感の既得を主張するのです。
なぜだか涙を止めることができなかったので隠れて泣いたあの震災後、
目に焼きつくほどの遺体を横目にただただ無力であった矮小な自分は
雪降る夕暮れの生暖かい妙な臭いに現実を思い知らされ
いままで生きてきた狭い世界観を痛感したんです。
あの時、津波が攫っていったのはいったい何だったのでしょうか。
住処(すみか)だったのか? 笑顔だったのか?
それとも家族の尊い命だったのか?
僕にとってのそれは、それは…
人間の死後は「無」になるというカタチではなく、
「誰かの記憶に残るという現実の厳しさ」だったのです。
★これもまた人が犯しやすいといわれる
認知のバイアスとして片付けらるのでしょうか。
今日もまたいつもと変らず時計は回っている・・・時間を奪還せよ!
おわり




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